- Vol.39 28年前の私からのプレゼント ―あなたへのおくりものー
- Vol.38 うーん…途中まではいいんだけれど、ちょっと違う??
- Vol.37 発展と進歩
- Vol.36 音楽はすばらしい
- Vol.35 心に届く言葉、届かない言葉
- Vol. 34 2020年の仕事はじめ
- Vol. 33 That’s the way it is.
- Vol.32 徒然なるままに
- Vol.31 勉強ってなあに?
- Vol.30 京都の春
- Vol.29 正確な日本語?
- Vol.28 引っ越し、執筆、講演、そして引っ越し
- Vol.27 〇月×日
- Vol.26 It's not easy to write textbooks.
- Vol.25 Even a pig climb a tree when flattered!? 豚もおだてりゃ木に登る
Vol.22 忘れてはいけない子供達の能力
前回のエッセイで書いたように、日本には、日本にしかない英語の教え方があり、英語教育が効果的に行われていないことを大勢の人が解りつつも、そのConservativeな壁は相当厚く、私はアプリコット出版と共に20年以上この壁を(ベルリンの壁がある日、崩壊したように)崩そうと努力しています。
Conservative な厚い壁の一つは、input の重要性を説く先生方があまりにも多いことです。特に児童英語教育におけるinputの重要性についての講演、発表が多いのには驚きです。
まさにInput 信仰です。小学校に英語教育が導入されるようになり、多くの先生方が中学生や高校生、大学生に比べて、小学生の語彙や音を憶える速さにおどろき、これは良いことだとわかったとばかり「幼いほど英語を憶えやすいのでinputが重要だ」という趣旨のことを説き始めます。 それに伴って歌やお遊戯、リズム、カルタ取り、伝達ゲームなど多くの子供が喜びそうな input のための活動が紹介されます。もちろん、子供達のそのような能力は大切ですが、幼児児童英語教育をずっと経験してきた者にとって、それはあたりまえのことなのです。 幼児期から英語を聴いていると、発音は自然にnative に近いものになりますが、so what?
単語や文を聞かせたり、暗記させたりするだけでは、本当にコミュニケーションが英語でできるようにはならないことがさまざまなところで立証されています。カナダのイマ―ジョンスクールでも、先生の指示や話す内容はほぼ理解できるけれど、生徒同士のコミュニケーション、生徒からの発話はインプット教育だけでは導けないという報告もあります。
先日、電車の隣に座っていた大学受験生と思われる女の子、アルファベット順に並べられた英語の語彙をひたすら順番に覚えている姿に違和感を感じました。英語の単語を単体で覚えて何のためになるのでしょう。 例えば、扉: door、鍵: key、 開ける:open という言葉を暗記してスペルを憶えても、「ドアのカギを開けて!」 「ドアのカギをしめなさい。」とは言えない。 水:water、 花:flower を憶えても「花に水をやる」とは言えないのが現実です。
幼児、児童英語教育において見逃してはならないことに、中学生には無い子供達の大切な能力があります。それは「伝えたいことがあれば、子供達は文の構造をはっきりと理解していなくてもそれを使うことができる」 という能力です。
古い例で言うと、戦後間もなく子供達は Give me chocolate. の意味や文法を知らなくても、give me が2語であることすら知らなくても、こう言えばチョコレートを手にすることができることが解っていました。同様に、May I go to the bathroom? はおしっこに行きたいときに先生に訴える言葉なのです。
伝える、伝わること、言語には使う reason があることを示すことが大切で、子供達はそれを受け入れる能力を持っているということです。 そこが中学英語と大きく異なる点です。
ですから、児童英語教育は、言葉を使ってやり取りしなければできない課題(task)を提示し、「ごちゃごちゃ考えずにまず、使ってみようよ!」から始めることができる唯一の年齢で、その点を見逃してはいけないのです。
勿論その課題は子供達の目線で、子供達の興味のある内容を選ぶことが大切です。
その課題を説くための語彙や文の提示は必要ですが、 まず、使って英語のやり取りの面白さを体感させます。 語彙や音、リズムの定着のための歌やチャンツ、Drill はその後です。 それが言語を学ぶ順序であり、児童だからできる順序なのです。
公立小学校における英語教育、単語や文をゲームや歌で楽しく”教える“ ことは、比較的簡単なので、input 信仰が根強い支持を得ているのだと思いますが、まず”使う”ことが大切で、幼児、児童はそこから入っていける唯一の年齢なのです。
ラーニングワールドシリーズはこの考えを基礎に構成されています。