- Vol.39 28年前の私からのプレゼント ―あなたへのおくりものー
- Vol.38 うーん…途中まではいいんだけれど、ちょっと違う??
- Vol.37 発展と進歩
- Vol.36 音楽はすばらしい
- Vol.35 心に届く言葉、届かない言葉
- Vol. 34 2020年の仕事はじめ
- Vol. 33 That’s the way it is.
- Vol.32 徒然なるままに
- Vol.31 勉強ってなあに?
- Vol.30 京都の春
- Vol.29 正確な日本語?
- Vol.28 引っ越し、執筆、講演、そして引っ越し
- Vol.27 〇月×日
- Vol.26 It's not easy to write textbooks.
- Vol.25 Even a pig climb a tree when flattered!? 豚もおだてりゃ木に登る
Vol.10 児童英語教育を始める前に
10月20日、21日の両日には、東京でアプリコット出版主催「児童英語教師養成講座」の講師を務めさせていただき、11月10日からは大阪での全6回コースが始まりました。 2000年に始まったこの講座は、今回で受講生が200人を突破し、責任の重さを痛感しています。
東京での講座はゼミ方式で受講人数を絞り、短時間(2日間15時間)コースでおこないました。
全15時間の中で受講生の皆さんにお伝えしたいことが多く、情報量の妥協はしたくないので、ただひたすら喋り続ける結果となりました。
この児童英語教師養成講座は、実際のゲームや歌を学ぶ前に、まず「日本における従来の英語教育は成功しなかった原因」をbrain stormingをすることから始めます。 現在中学校、高校で行われている英語教育の間違いを理解せずに児童英語教育をはじめても、問題を先送りするだけだと思うからです。 英語教育の到達点は、言葉を使ってグローバルな社会で生きていくことにあります。なぜ、日本の英語教育が成功していないのかをきちんと検証せずに、またはその間違いが わかっていても改善しようとしないまま、公立小学校に英語を導入することに違和感をおぼえます。
英語教育の問題点を具体的な例からKJ法を使って分析すると、次のような問題点が浮かび上がります。
1. 社会的側面 ・教える側も習う側も英語の必然性に対する認識が薄い
・多言語社会ではないので、話す機会が少ない
2.情意的側面 ・積極性に乏しい
・英語を話す人に対するやっかみ
・間違うことに対する抵抗
3.教授法的側面 ・言語教育ではなく、教科である
・日本人の講師が作る日本人生徒にしかわからない試験問題
・使う必然性のないパターンプラクティスに終始している
・目的が分からない書き換え問題
・長文読解と呼ばれる部分英文分析
上記の問題点の中で、私が一番問題視しているのは「必然性に対する認識が薄い」ということです。 英語を習う理由が、「大学入試に有利なように」「海外旅行をより楽しくするため」「外国人の友達が欲しいから」「道で外国人が困っていた時に助けたい」という単純なものが多い上に、教える側も「まさかヨーロッパ人のように英語が自由に使える 生徒が高校3年生までにできる訳がない」と最初から諦めている様子。
「第一、先生も英語がそこまで使えない」「日本語と英語の構造が違うから、英語は難しいので学校教育ではその素養を養いましょう」なんて平気な顔で言っているのです。 莫大な予算と生徒の時間を使いながら、英語という技術一つ満足に教えられないのが日本の現状です。
小手先の工夫だけではなく、根本的に英語教育の流れを変え英語を使える生徒を育てることにもっと執着しましょうよ。 今日本では「原発問題」「エネルギー問題」「経済問題」「自然破壊」「食糧危機」などの問題が山積しています。これらの問題は、世界に共通する問題です。
地球の一員として、日本社会と日本人がより賢明に生きていく手段として、国際的な情報の授受や議論、協力が必要ですし、その場では英語は必須だということをもっと危機感を持って自覚するべきでしょう。この点に問題意識を持っていなければ小学校から英語を教える意味も資格もありません。