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- Vol.38 うーん…途中まではいいんだけれど、ちょっと違う??
- Vol.37 発展と進歩
- Vol.36 音楽はすばらしい
- Vol.35 心に届く言葉、届かない言葉
- Vol. 34 2020年の仕事はじめ
- Vol. 33 That’s the way it is.
- Vol.32 徒然なるままに
- Vol.31 勉強ってなあに?
- Vol.30 京都の春
- Vol.29 正確な日本語?
- Vol.28 引っ越し、執筆、講演、そして引っ越し
- Vol.27 〇月×日
- Vol.26 It's not easy to write textbooks.
- Vol.25 Even a pig climb a tree when flattered!? 豚もおだてりゃ木に登る
Vol.37 発展と進歩
新型コロナ禍中に明けた2021年、皆さんはいかがでしたでしょうか。帰省や年始の訪問も阻まれ、例年とは異なった年始を過ごした方も多いかと思います。
現在私たちが直面している様々な問題。それは新型コロナ拡大だけでなく、地球温暖化、自然破壊、動物の絶滅危惧種の増加等、人類が突き進む経済社会の発展と自然体系との調和がうまく行われていないことが要因です。
発展には必ず”負“の部分が生まれます。 例えば、原子力発電の発達は当然のごとく高レベルの放射性廃棄物を産出し、住宅開発で行き場やエサを失う野生動物が生まれます。 “突き進む”ことを「発展」ととらえ、発展と共に“負”をも生み出しながら変容していく社会構造を govern (統治し管理運営をする)するだけの「知恵」を人間が持っていないのがその原因かもしれません。発展と呼ばれるものが必ずしも悪いと言っているわけではありません。社会の発展、技術の発展、医学の発展、科学の発展は、我々の生活を便利で豊かなものにしてくれました。しかし、それによる負の部分を十分認識し人間の知恵をもって管理対処できてこそ「進歩」と言えるのではないのかなと思います。
あまり、堅い話を書いているとなかもとらしくないので、ここでトピックスの方向を少し変えましょう。
お正月に楽しみにしているものにウィーンの学友協会で開催されるニューイヤーコンサートがあります。ウィーンフィルの華麗な音楽はもちろんのこと、フォーマルウェアの人々が集まる華やかな中にもピンと張りつめた緊張感が漂うホール、演奏が終わるたびに湧き上がる歓声と拍手には、毎年テレビの前で魅了されます。
今年は残念ながら 新型コロナウイルス感染防止のため、コンサートは無観客の中で行われました。指揮者の入場時にも演奏終了後にも拍手はなく、人影のないホールがテレビで映し出された時は胸が痛みました。 しかし、驚いたことに、オンラインで結ばれた世界各地7000人の人々の映像が、第1部と第2部の最後に映し出されたのです。さまざまな人種、さまざまな国の人(そして様々な時間帯の人達)の感動に満ちた拍手が笑顔と共に映し出され、同時にその拍手はホールの演奏者たちにも届けられました。
「人間はこうあるべきだ。私たちはコロナ禍でありながら、音楽に感動する豊かな感性をもっていて、技術の発展をも手にしている。そして、技術を駆使して人種や国を超えてその感動を分かち合える知恵をもっている。」 —–自宅で一人このテレビ中継を見ていた私は、今までにない感動を覚えました。(そして、アンコール曲のラデツキー行進曲にあわせて指揮をしながら踊り出したのは言うまでもありません。(前回のエッセイ参照))
では、英語教育における”発展“とは何でしょう。公立小学校に英語が正課として導入されてもうすぐ1年になります。それに伴い、来年度(今年の4月から)改定される中学の英語教科書は語彙数が大幅に増え、いくつかの文法事項も高校英語から降りてきて随分難しくなるようです。
公立小学校の英語教育は、知識の先取りを目的にしてはいけない。小学校から認知的活動を通じて英語を運用する能力(聞く、話す、読む、書く)を育む活動を導入し、その教育体験を経て、中学では、語彙、文法を教えるだけではなく、自分のことや考えを人により深く伝えたり、英語で書かれた文から知識を得たりする、意欲を育む授業へと展開することが大切です。
折角、小学校から英語教育を始めることになったのだから、前に進む教育をちょっと止めて、増えた時間で知識を自分のものにし、目的をもって英語を使えるよう、能力の幅を広げる教育に時間を使いましょう。伝えたいこと、知りたいことが先にあり、その方法としての文構造や語彙が増えていくのが自然です。必修の文法事項や語彙を機械的に暗記することを強いれば、英語という科目はますます実のない発展に突き進んでいくことでしょう。
今、我々に求められているのはやみくもに前に進む発展ではなく、知恵を使って幅を広くする進歩なのかもしれませんね。
(この進歩を sustainableな社会と呼ぶのだと思いますが、昨今このsustainableという言葉があまりにも安易に使われている気がして敢えて使いませんでした・笑 今年も皆さんと共に考えていきたいと思います。)