- Vol.39 28年前の私からのプレゼント ―あなたへのおくりものー
- Vol.38 うーん…途中まではいいんだけれど、ちょっと違う??
- Vol.37 発展と進歩
- Vol.36 音楽はすばらしい
- Vol.35 心に届く言葉、届かない言葉
- Vol. 34 2020年の仕事はじめ
- Vol. 33 That’s the way it is.
- Vol.32 徒然なるままに
- Vol.31 勉強ってなあに?
- Vol.30 京都の春
- Vol.29 正確な日本語?
- Vol.28 引っ越し、執筆、講演、そして引っ越し
- Vol.27 〇月×日
- Vol.26 It's not easy to write textbooks.
- Vol.25 Even a pig climb a tree when flattered!? 豚もおだてりゃ木に登る
Vol.9 いじめ問題
大津市で起こった悲しい悲劇、中学生の自殺がマスコミに取り上げられるようになってから、新聞や
雑誌では、さまざまな分野で活躍する著名人がいじめられている人にメッセージを送っています。その中で、多くの著名人、コメンティターが公言し始めた言葉の中に、気になるものがあります。
それは「学校なんて行かなくてよい」「学校を休むことくらい大したことではない」「学校は行きたくなければ行かなくていい」というメッセージです。いじめられて苦しんでいる人に対する励ましとして書いているのかもしれませんが、 紙面上でこのようなメッセージを毎日読んでいると、学校制度の崩壊の危機を感じます。
被害者が学校に頼ることができず、警察に被害届を出す例も増え、学校教育の無力さが如実に表面化しはじめました。当事者である教育委員会、学校、そして個々の先生方は、どう感じていらっしゃるのでしょうか?
「いじめ」問題にはいろいろの要素が複雑に絡み合っているため、 この限られたエッセイの紙面で取り上げるのはとても難しいことです。
一つには「すべてが数値で表す現在の価値観」が挙げられると思います。物の価値はお金という数値で測られ、個人のペースは時計という数値で測られ、個人の努力も結果だけが数値で表わされます。すべての人間が一つの基準で測られ、数値が高いもの、時間が速いことが良い、と判断される世界の中で、子ども達が悲鳴をあげている現実。数値で測る単一の基準だけで子どもを見るのではなく、多様性をもつ価値基準を持ち、それぞれの子の良さを見つけ、認め、褒めるという教育の根本のところが抜けている現実。
また、「人に危険なことをさせて、その態度を笑いにもっていく日本のバラエティ番組」、 「人を殺したり暴力を振るうことを前提としたコンピュータゲーム」もあるでしょう。自尊心を育てる教育の欠如、学校側に「いじめの対策」の組織がない、教育側のプロ意識の希薄なども考えられると思います(学校の先生の多忙がよく問題視されていますが、忙しいのは学校の先生だけではありません。医師やビジネスマン、みんなプロとして、過酷な環境の中で働いています)。
“いじめ”という言葉を使うことは好きではありません。「ふざけているだけ」とか「遊んでいるだけ」という言葉にごまかされることが多いからです。 私は「人の嫌がることはしてはいけない」という言葉を使って子ども達を指導してきました。人にはそれぞれの基準があり、自分ではそれがふざけやジョークだと思っていても、言葉や行動が相手を大きく傷つけることがあります。 ですから、自分がどう思うのかでなく、相手を尊重することが大切だと教えなければいけないと思います。
このエッセイを読んでくださっている方々は、公の学校の先生よりも少人数で教えていらっしゃる“お母さん先生”が多いかと思います。たくさんの生徒を相手に授業を進めなくてはならない学校の先生に比べ、一人ひとりの子どもに近い立場で、いじめられる子どもだけでなく、いじめる側の子ども達ともゆっくりface to face で話せる立場にいると思います。英語は、言語を扱う全人教育です。
・「学校は行けなくても英語の教室に来れば自分の居場所がある」
・「自分を認めてくれる先生がいる」
・「英語の教室ではみんながお互いの違いを認め合っている」
学校の先生でも親でもない“一番信頼できる大人”になりえる私たちが、子ども達にとって羽を休めてエネルギーを蓄えることができる場、安心の場となるような教室を作っていきましょう。先生が神経質になりすぎたり構えたりするのではなく、緊張した子どもの心をスコンと解放させてあげてください。